【CONTENTS】崇敬の山・嶽鳥の山
乗鞍山麓の山岳信仰
古来日本には、奥山には神が鎮座し山そのものをご神体とする信仰があり、祖先の魂が登っていくところとして崇あがめられてきました。飛騨山麓、小八賀川流域の集落各所には乗鞍岳を日ひ抱だき尊そんと敬い、やがて政まつりごとの中心に社やしろを築き、狩猟採集や農耕を通じた生活の安寧を願い、山の神や日の神、水の神を祀ってきました。信州側にもまた山麓に伝わる雨乞い祭りの風習にあるように、稲作にとって最も重要な水の源となる乗鞍岳を遥拝する拠点として梓あずさ水みず神社は水の神を祀まつっています。
乗鞍の修験者たち
修験道はそうした山岳信仰と仏教とが一体となったものです。古くは愛あ宝わ山やま、位くらい山やま、鞍くらヶが嶽ねと呼ばれた乗鞍岳は、加賀白山や立山のように、奥山での厳しい修行により、悟りをひらき、自他の救済を求めた僧侶や行者によって開山されてきました。江戸時代には、円えん空くう上人や木もく喰じき上人が乗鞍岳の岩窟などで修行し、明治以降は美濃の修験者無む尽ずく秀しゅう全ぜんや上かみ牧まき太た郎ろう之の助すけ、板いた殿んど正しょう太た郎ろうら地元の有志によって多くの登山道が開拓されます。信州側では明みょう覚かく法師や永えい昌しょう行者らが、三本滝、冷泉小屋、位ヶ原付近の行場を開いたとされています。
登拝のよりどころ
山頂の剣ヶ峰には乗鞍本宮(奥宮/乗鞍大権現)が祀られ、大日岳に大日如来を、薬師岳には薬師如来を祀っており、神仏習合思想が窺えます。本宮とは背中合わせに信州側に朝日権現神社が祀られています。鎌倉時代には社殿が造営され、やがて麓で開かれた大おお樋び鉱山の隆盛とともに鎮守として祀るようになったといいます。
両面宿儺/千光寺と円空仏
飛騨千光寺は1600年前に両面宿儺が開山、1200年前に高野山真言宗に属する密教寺院として建立された古刹。日本書紀によれば仁徳天皇の時代(約1600年前)、飛騨に現れた異形の鬼神で、大和朝廷に従わない凶賊とされる一方で、在地伝承では民衆を導く英雄で慈悲深い守り神とされてきました。江戸時代前期、山岳信仰と造仏を行とした円空上人は、生涯12万体もの仏像を彫り、苦難に苛まれる里人にも授けたとされています。滞在した千光寺で彫った数多くの仏像は当地で拝観することができます。
ライチョウが教えてくれるもの
氷河期以来、日本のライチョウがその種を繋いできた奇跡は、自然との適合進化を巧みに遂げた特殊な生態の一方で、奥山は神の領域で、そこに棲むライチョウは「神の鳥」となっていった日本の文化構造を映しています。科学が発達し極めて高度な情報社会にあっても、なお私たち日本人は、そうした奥山を巡る畏敬の念と自然観を、自然と調和する思想として心の深層に持ち続けていると考えます。すぐ傍らでガンコウランを啄ついばむライチョウ親子の存在が、連綿と受け継がれてきた日本独自の精神風土の意義を示してくれているのです。
乗鞍岳アーベントロート(歌人福田夕咲の詠むみほとけの姿)。
三本滝は修験者の行場だった。