日本人にとって山とは、また山へ登るとはどのようなことなのでしょうか。普段はあまり信仰心のない方でも山に登って頂上に祠があれば手を合わせ、自分たちの登山が無事であることに感謝するものです。そしてよくよく考えてみると、いかに多くの山頂に祠が祀られていることでしょうか。日本の山にはごく当たり前のように神様がいらっしゃることに改めて気が付かされます。
原始日本人にとっての信仰とは、自然崇拝による八百万の神々でした。日本は四方を海に囲まれ国土の7割を山が占めるという環境の中で、ごく当たり前のように海や山への信仰が生まれたと考えられます。
特に農業によって定着の社会生活が進んで以降、山は田畑を潤す水をもたらす源(水分:みくまり)であり、生活に必要な材木が切り出される恵みの場所であると同時に、豪雨による土砂や時には火山の爆発などとなって大きな災害をもたらす、まさに人智を超えた存在として、敬われ崇拝される存在となっていきます。そして山への信仰はその後日本人の普遍的な価値観や文化をも形成する大きなファクターとなっていったとも言えます。
その一つが修験道で、山への崇拝が仏教によってもたらされた新しい考え方を通じて昇華し、明確に神仏としての信仰対象となっていきます。山岳信仰は「神も仏も敬う」日本人独特の宗教観の代表格として発展し、江戸時代にはこの信仰対象に一般の人が直接詣でる機会としての「登拝」が盛んに行われるようになっていきます。
江戸時代中期以降には、お伊勢参りと並んで富士講や御嶽講といった、地域の言ってみれば町内会サークルが毎年のようにグループで「登拝」を行なったそうで、中でも白山・立山・富士山の三山への登拝は、三禅定と言って、今で言う日本百名山踏破のような箔が付いたようです。こうした信仰登山は明治新政府の宗教政策によって全国的には衰退してしまいました。それでも出羽三山や御嶽山、石鎚山など今尚講が存在し、登拝が行われているところも少なくはありませんし、修験道においても大峰山などでは今も日々修験者たちによってまさに修験が積まれています。
歴史上18世紀末からようやく登山が行われはじめたヨーロッパアルプスなどと違い、山がごく身近であったことが、日本人を早くから山へ向かわせた一つの要因であったと考えられますが、日本では山へ行くと神を思わせる「何か」がそこにはあり、修験者たちは、あるいは江戸の庶民の方々でさえも、その何かに誘われるように山へ入っていったのではないでしょうか。
私達が普段行なっているハイキングや登山においても、山の自然がもたらすあらゆる現象において、日々の生活では得難いものがそこにはありますし、山に登ることで感じるリフレッシュ感(嫌なことも忘れ希望が湧くような感覚)は、江戸時代、今よりも遥かに苦労を重ねて登拝を行い、御嶽や立山の山頂に至った人達にもたらされる仏教的な擬死再生感にも通じるところがあるように思います。
このように改めて山に登ることの意味を考えてみると、その一つとしては、ごく自然に叶う神(人智を超えたもの)との巡り合いの旅であり、その神からの恵へ感謝する謙虚な気持ちに気づく機会として、洋の東西を問わず、宗教を超えた価値をもたらせてくれる、人としての根源的な行為と言えるかもしれません。