甲斐ー伊那谷を結ぶ歴史的な間道を歩く
法華道から入笠山へ
法華道は13世紀後半日蓮宗の僧で、後に身延山法主となった日朝上人が、7日間に渡って説法を行ったとされる高座岩などの霊跡をはじめ、多くの日蓮宗僧侶が身延山より伊那地方への布教に使った道と言われ、その名が付いた古道で、甲斐信濃国境(今の長野県富士見町)から南アルプス北端の入笠山を抜けて伊那路へ至る道となります。
平安時代、甲斐国(現在の山梨県)には御牧という朝廷のご用牧場が何カ所かあり、甲斐産駒がおおよそこの法華道近くを通り(石堂越えと言われる古道)、東山道へ抜けて京へ運ばれたとされているようで、いずれにせよ中世以前のはるか昔以来、人が越え続けた道がこの辺りにあったことが伝えられていることになります。
法華道の伊那側起点となる伊那市高遠芝平(しびら)は、かつて良質な石灰岩の採掘で繁栄したようですが、昭和以降の自然災害によって現在は人が住んでいません。法華道はこの芝平出身の北原厚さんをはじめ、地元の有志の方々がその整備にご尽力をされ、今私たちもそのいにしえの道を歩き、昔の人達に想いを寄せることができます。
法華道 史跡
高座岩(こうざいわ)
高座岩は法華道のハイライトと言える場所です。身延山の法主で日蓮上人の生まれ変わりと言われた日朝上人が、従者と共に7日7晩、法を説いたとされる場所ですが、岩の上にはその痕跡らしき石塔がいくつか残されています。この場所は西側に大きく開けていて中央アルプスの山並みを展望できる景観の良い所です。
御所が池
御所が池は「御所」とある通り、南北朝時代に後醍醐天皇の皇子である宗良親王が匿われた場所と伝えられています。この説には異論もあり入笠牧場の三澤支配人をはじめ、ここに囲われていたのは、中先代の乱をおこした北条氏の遺児北条時行で、後ろ盾であった諏訪氏によって囲われていたのでは、と言う見立ても有力なようです。御所が池ではやじりの発掘がされたこともあり、どちらにしてもこの周辺が中世において重要な役割を担っていたことは確かなようです。
御所平峠
御所周辺とされた御所平峠。今は高座岩方面、芝平方面、そして入笠牧場へつながる分岐点となっていて、法華道の復興に力を注いだ北原さんが担ぎ上げたと言われる地蔵尊が置かれています。
首切り清水
こちらは一転して江戸時代のお話。高遠藩の金奉行役人がここに湧く清水を飲もうとしたところ、盗賊に首を打たれた場所として言い伝えられている場所。いずれにせよ往時人の往来が盛んであったと言えるでしょう。
仏平峠
伊那市と富士見町の境界地で入笠山の首切り清水の登山道脇にある場所。法華道はここから東西へ繋がれていたとされています。入笠山の南山麓は入笠牧場の敷地ですが、富士見側の林道先も含めてその痕跡をさぐることはできません。
山椒小屋跡
昔の避難小屋跡。小屋と言っても登山者のためのも のでは無く、往来の旅人の避難小屋のようなものだと考えられています。
脛巾あて
脛巾(はばき)とは旅行や作業などの際、すねに巻きつけてひもで結び、動きやすくしたもので、旅人がここで休息した場所とされています。
厩の平
戦国時代、武田の騎馬軍団の馬が休息したと言われている場所で、後に関連するものが見つかったそうです。確かに少し広い平らな場所が見受けられます。
爺婆石
旅人の守り石とされていた石で、ケルンのように石を積み上げて旅の安全を祈願したようです。
門跡屋敷
この辺りが諏訪社の狩り場であったと伝えられ、その関係として6軒の立派な門のある家が建てられたことから集落が始まったと伝承されているそうです。
龍立場
この地域では猟師のことを龍とよび、狩り場は猟立場→龍立場となって伝えられた場所です。
万灯
万灯とは信玄が高遠城を攻める時に松明を数多く掲げて進軍したところから、それが万騎の兵に見えて芝平の民が恐れ、地名として残されたようです。
諏訪社
記録によると平安時代末期にはこの諏訪社の勧進がされていて、芝平集落の歴史の古さが偲ばれます。
法華道の碑
北原さんを始め法華道の復興に地元の人達も力を注ぎ、伊那市において法華道を古道として公式にしています。
弘妙寺
南北朝時代、宗良親王を匿い信者と共に山中に屋敷を建て、池を掘ったと伝わっている、法華道と縁が深いお寺のようです。室町時代には日蓮宗の身延山法主日学上人によって日蓮宗の寺へ改宗したそうですが、戦国時代、織田信長の軍勢によって焼き討ちされるなどの災難にも遭っています。竜の画や天井画でも一見の価値があるようですが、近年ではプロゴルファーがわざわざ祈願のため参拝して、その後すぐに優勝するなどゴルフ寺としても知られているようです。
遠照寺
平安時代前期に建てられた薬師堂を草創とし、室町時代日蓮宗の法主:高座岩で説教をされた日朝上人によって改宗された法華道ゆかりの寺です。寺の前の道が法華道で、長谷を経由して秋葉街道へとつながる道となります。国の重要文化財である釈迦堂を始め多くの史跡や美しい庭園は、法華道へ行く際には是非訪れたい場所。5月中旬からはボタンの季節となり、ボタン寺として多くの観光客が訪れます。
法華道 ルート情報
法華道の伊那高遠側からのルートは、山室川沿いの芝平を起点とするルートと、少し高遠寄りの赤坂という集落を起点とする2つの候補があるようです。史跡としては芝平のルートが多いのですが、明確な歴史的根拠は実はどちらにもありません。ここでは赤坂からのルートを登りとして、芝平のルートは下りとしてご紹介します。技術的にも体力的にも難しいことはありませんが、赤坂からのルートはルートがやや不明瞭な場所もあり、地図を見ながら慎重に進んでください。
東側富士見町側からの法華道ルートははっきりしていません。
最近と言うよりは江戸時代において都市間の街道整備が進んだことや、周辺の村々による入会林管理が進んだことで、道としての用途が失われたことに起因するようです。法華道の入り口とされている現在の富士見町若宮では、古鎌倉街道沿いにわずかな痕跡が残されているようですが、ルートとしての法華道を示す史跡は残っていません。富士見町では伊那市同様に想定ルートを検証されているようですが、いずれも確かなものとは言えないようです。従って古道法華道とは言えませんが、入笠山への富士見側からのアプローチルートとして参考にしてください。
●赤坂ルート登山データ
技術レベル 2
体力レベル 4
難易度★★★
行程:往復であれば1泊2日 健脚者であれば日帰りも可能
歩行距離:12.3km 赤坂から入笠山経由で入荷差牧場まで。
歩行時間 :登行6時間
累積標高差 :+1,146m−443m
法華道赤坂ルート 赤坂〜水場〜カンバ岩〜御所平峠〜高座岩〜大阿原湿原〜入笠山〜入笠牧場
ルートガイド
赤坂ルート:県道沿いにクルマを駐め山室川を渡り登山口に向かいます。舗装道をしばらく歩くと右手に妙見堂があります。更に少し歩くと山小屋「種平(たねへい)小屋」が左に見えます。この小屋は比較的歴史は浅い小屋ですが、現在は残念ながら営業はしていません。
この小屋の裏側が入笠山 登山口で、法華道一つの候補とされている道です。種平小屋の方が要所に標識を設置していただいていますが、途中までの道は踏み跡が少なく、分かりやすい登山道とは言えません。特に水場を越えてからのルートは不明瞭で大変わかりにくい道となっています。木に付けられたリボンと国土地理院の地図を頼りに何とか林道まで這い上がっていく形になります。
その林道を進むと今度は尾根へ入る細い登山道があり、種平小屋さんの標識が出ています。この道を少し上ると中央アルプスの展望が開けた場所となります(登山道からほんの少し脇へ入ります)。そして林の中に二つめの水場が出てきます。
ここから御所が池方面へ行く道とカンバ岩の方へ進む道と二つに分かれます。御所が池方面は帰路に立ち寄ることにして、カンバ岩方面へ進みます。水場から少し進むと炭焼き小屋の跡があり、この先も少しわかりにくいのですが、左へ直角に曲がるように苔むした岩場を急登して進むのがルートになります。法華道はこのまま直進して高座岩へ進む道があったのかも知れませんが、現在はそちら方面へのルートはありません。カンバ岩手前がルート上唯一急登の続く道で、我慢して進むと巨石「カンバ岩」に着きます。
ここからも木曽駒方面の景色がきれいに見られます。
この岩を過ぎ林の中比較的ゆるやかな道を行くと、ようやく御所平へ到着します。芝平からの合流地点を右に折れると、北原さん(法華道を再興した人物)が担ぎ上げたというお地蔵様が高座岩との分岐点に建てられています。
この分岐を右へ折れ高座岩方面へ進みます。軽いアップダウンを経て10-15分程度で高座岩へ着きます。岩の上に石仏や石碑が置かれ、霊跡であることが伺えますが、ここからは伊那谷と西駒(木曽駒)の山容が素晴らしい眺望となっています。
この先は法華道から一旦外れ、北原さんや三澤さん(入笠牧場支配人)が作られた地図に無い道、北原新道を小黒川林道まで下り、今度はテイ沢を大阿原湿原へ向けて上がっていきます。ここも地図には載っていません。清流の沢には手作りの立派な橋が何本もかけられています。沢の水流量が多い時に橋を渡るのは止めておきましょう。
30−40分ほど上がると大阿原湿原に出ます。決して広大な湿原とは言えませんが、尾瀬を彷彿とさせる美しい湿原を木道で歩く事ができ、人が少ない分、なんだか得をしたような贅沢な気分を味わえます。湿原を抜けると富士見側からの自動車道に出ます。
この道を左に折れ入笠山方面に歩きます。
しばらく進むと首切り清水という怖い名前の地名に出ます。更にもう少し進むと左に入笠山への登山道があり、そこを入ると仏平峠に到着します。法華道は先ほどの高座岩からこの場所へ出てくる貫道があるようですが、現在その道は不明瞭なルートとなっていて通行できません。
仏平峠から法華道を外れ入笠山を目指します。20分ほどで山頂です。
入笠山は標高1955m。三百名山の一座で、360度絶景が楽しめます。富士山も綺麗ですが、なんと言ってもこの場所は特に目の前に迫る八ヶ岳眺望では他には無い素晴らしいモノがあります。
なかなか離れがたい山頂の景色を後にしてマナスル山荘方面へと降りていきます。マナスル山荘までは15分ほど。富士見高原パノラマリゾートのゴンドラ駅まではここから更に40分ほどです。
マナスル山荘前の車道を左へ折れて、緩やかな下り坂を20〜30分ほど歩けば目的地入笠牧場へ着きます。途中には絶景ポイントとしていろいろな撮影に使われている、知る人ぞ知る「貴婦人の丘」を見る事ができます。ダケカンバとアカマツの2本木が寄り添うように草原の上に生え、広大な牧場風景の背後には、穂高連峰をはじめとしたアルプスの山々が重なり、入笠山頂とはひと味違って、ここが日本であることを忘れてしまうくらい素晴らしい景観だと感じることでしょう。
法華道下り 入笠牧場〜御所が池〜厩の平〜龍立場〜万灯〜諏訪社〜赤坂
●芝平ルート登山データ
行程:1泊2日 健脚者であれば日帰りも可能
歩行距離:下り9.3km
歩行時間 :下り3時間5分
累積標高差 :下りルート+243m-946m
芝平ルート:入笠牧場から今度は法華道の下りを進みます。残っている史跡は登りの赤坂側よりもこちらの方が多く、法華道を整備された北原さんらによって芝平で言い伝えられた史跡を中心に看板が立てられています。
唯一御所が池だけが登山口からは外れる形でやや不明瞭な道を進むことになります。御所平からつづらの林道を20分ほど進むと、左へ下りる御所が池の看板があります。この道は赤坂からの往路途中、二つ目の水場から左に折れて御所が池方面に進む道がありますがその道のようです。左へ降りていきしばらく進むと標識があり、左へ折れ数分で林の中にある御所が池にたどり着きます。この池のゆかりは宗良親王なのか北条時行なのかは分かりませんが、音の無い世界で静かな湖面をはしる蜻蛉をしばらく眺めていると、このような場所に身を隠さなければならなかった700年近く前の人物の胸中に想いが寄せられていくような気持ちになります。
御所が池へ入った道を戻り、途中芝平方面へ抜ける道を使いショートカットして林道へ戻ります。更にすぐに細い登山道を左へ折れそこからは芝平からの法華道となります。細い道へ入ってから山椒小屋跡、廐の平、爺婆の石、門址屋敷、龍立場と史跡が5-10分おきに登場します。
御所が池から一時間ほど、龍立場を左へ折れた後、急な山道を下ります。細い林道を越え、更に林業関係者が整備している場所をわけ降りて大きな林道に合流します。ここからは比較的緩やかな道が芝平まで続き、途中万灯を越え龍立場から30−40分ほどで諏訪神社の朽ちかけた社へ出ます。ここに伊那市が設置した「法華道」の大きな碑が置かれています。
下りは御所平から二時間半〜三時間程度のハイキングとなります。この道を上りに利用する場合は御所平まで2-3割程度余分に時間を見てください。ここから赤坂まで緩やかな下りの県道を3キロ程度歩きます。県道ですが道幅が狭くクルマには注意して進みましょう。
法華道富士見町ルート 若宮〜柏木学園研修所〜池の十〜沢入口登山口〜法華道分岐〜遊歩道〜八ヶ岳展望所〜仏平峠〜入笠山
●法華道富士見町ルート(参考ルート)若宮〜入笠山
行程:日帰り(下山は富士見高原のゴンドラを利用)
歩行距離:法華道登り12.3km
歩行時間 :登り4時間40分(ゴンドラ乗り場までは+50分)
登り累積標高差 :+1206m -387m
富士見ルート:スタートは富士見町若宮にある八幡宮です。ここから古鎌倉街道とされる旧道をしばらく進み、起点とされる未舗装道へ入ります。しばらく行くと武智川沿いに進む分かれ道に出ますがここには古い石塔などが無造作に放置されています。
ただ史跡というよりは、どうやら石材として再利用するために集められたもののようです。一旦戻るようにして、標高1,000m付近から入笠山山頂へつながる舗装道を進むことにします。この道を道なりに上ると1時間ほどで柏木学園という学校法人の研修所となっています。この研修所の裏に古道法華道があった、と表示された看板を見つけることができます。この辺りは確かにそうだと言われれば古道感は感じます。
ここからは一旦舗装道に戻り道沿いに登り、途中広い舗装された駐車場のような場所に出ます。ここから池の十という場所を目指します。地図上では舗装を外れる道が見受けられますが、この辺り間伐のための作業路が多く、法華道かどうかもわからないだけでは無く、何処へ向かう道なのかはっきりしないため、なかなか踏み込んで進むことができません。
しばらく舗装道を進むとT字の場所に出ますが、ここに法華道の看板が唐突に出てきます(これまでは見つけられなかった可能性が高いのですが)。舗装道を外れしばらく獣道のような場所を進むとやや上部にある舗装道につながり、しばらく進むと池の十という池に出ることができます。法華道伊那側にある御所が池によく似た大きさと雰囲気を持つ池で静寂の景色に包まれます。
ここからまた法華道の看板に沿って進みます。舗装道に出てしばらく行くと沢入口の駐車場に出ますが、ここが現在の登山道の起点の場所となります。ここからの登山道は法華道と重なっている場所もあるようですが、この道を途中から首切り清水へつながると推測されています。ただし現在では谷筋である武智川の源流域が何度も土砂崩れにあっているようで、その谷は非常に深く刻まれており、人が入るような古道としての雰囲気や痕跡は全く残っていません。やむを得ず現在の登山道をこのまま進み、入笠湿原や入笠山登山口のお花畑につながる遊歩道へ合流します。ここからは入笠山の東斜面を登り、40−50分ほど進むと法華道があったとされる仏平峠に出ます。今は舗装道もしくはお花畑を抜けて進む遊歩道が続いていて古道の面影はありません。